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渋谷川 リンク集

渋谷川(しぶやがわ)は、東京都渋谷区の宮益橋(穏田川・宇田川合流点)から天現寺橋までの2.6kmを流れる二級河川。港区の天現寺橋(笄川合流点)から浜崎橋先の河口までの4.4kmは古川と名前を変える。

「渋谷」の地名は、渋谷川を流れる渋色(赤茶色)の水に由来する、という説がある。 渋谷川流域では渋谷粘土層と呼ばれる特有の地層が水を遮るため、上層にある関東ローム層(赤土層)に染み込んだ雨水は、その鉄分を溶かし込みながら川へと排出され、水を赤茶色に染めるのだという。 現在も、渋谷で湧いている井戸水には、全国平均の24倍にあたる鉄分が検出されている[1]。 「渋谷」および「渋谷川」の本来の由来は、今の大和市渋谷地区を出自とする渋谷氏一族が、周辺地域に居を構えたことによるようである。 なお、穏田川は宮益橋から新宿御苑方面へと遡る渋谷川支流の名だが、古地図などではその名が見えず、かわりに渋谷川と書かれている場合が少なくない。この場合渋谷川は新宿御苑付近から始まるということになり、これは「渋谷川」の広義の用法であったということになる。

玉川上水ができる前は流量の多い川ではなかったが、玉川上水完成(1653年)後、四谷大木戸(現在の四谷4丁目)の水番所から上水の余った水を渋谷川へ流すことで、流量が飛躍的に増えた。 これにより、水車を掛けることが可能になり、渋谷川には幾つか水車が作られた。北斎の富嶽三十六景の「穏田の水車」は、原宿穏田村付近(現在の神宮前3丁目)の渋谷川の水車小屋を描いたものである。 明治に入り設立された渋谷小学校は、近くの水車の事業で得た利益の一部を充てて設立されたこともあり、水車の羽を象った図が校章に定められた(渋谷小学校は学校統廃合のため現存しない)。 明治前半までは、水がきれいで、沿岸では蛍が見られた。かつて徳川将軍に献上された蛍は渋谷川で採取されたという。 都市化の進行とともに支流の多くは徐々にどぶ川化し、戦後になってもれなく暗渠化・下水道化された。渋谷川は源流を失い、水がほとんど流れていない状態になった。 1995年からは東京都の清流復活事業の一環として、落合水再生センターから埋設管経由で水を送り、並木橋下地点より1日2万m3の高度処理下水を注いでいる[2]。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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